北極海の夏の海氷面積は、過去35年間で約3分の2に減少し、北極の気温上昇は地球全体の約4倍の速さで進行しているといわれています。地球温暖化による北極域の変化が地球全体に及ぼす影響は、自然環境だけでなく、人間の社会や文化、政治経済、国際法、国際関係にも及んでいます。北極域の国際関係について研究している北極域研究センターの大西富士夫特任准教授にお話を伺いました。
多様な文化がある北極域
「北極域」(the Arctic region)には、実は統一された定義がありません。例えば、天文学に基づく北緯66度33分以北の「北極圏」(the Arctic Circle zone)といわれるエリアを北極域とする定義がありますが、それ以外にも、気温や植生から北極域を定義する場合もあります。その多くの条件に当てはまる場所に領土を有している国が、アメリカ(アラスカ)、カナダ、ロシア、フィンランド、スウェーデン、ノルウェー、デンマーク(グリーンランド)、アイスランドの8カ国で、通常このエリアを北極域と呼んでいます。
北極域というと、多くの人は荘厳な大自然や氷山、ホッキョクグマをイメージするかも知れませんが、実は約400万人もの人が住んでいます。しかも、国籍も違いますし、さまざまな先住民の人たちも住んでいて、暮らし方、政治制度、経済が多種多様にあるという場所です。
私は北極域にある8か国について、国際関係がどういう状態にあるのか、文献調査や聞き取り調査をして研究しています。例えば、これらの国の外交官や国際協力組織の方々、ビジネスの方々、先住民の方々に聞き取り調査をしたり、北極域の研究者と意見交換をしたりしています。
世界に類を見ない「北極評議会」
冷戦終結前の1987年、旧ソビエトのゴルバチョフ書記長が、北極域を国際協力や平和の場にしようという演説をしました。それを受けて1996年、北極域の8か国が北極評議会という国際協力の組織を設立しました。北極評議会は北極域のガバナンスで非常に重要な役割を果たしており、いろいろなルールや決まり事を確立してきました。日本のメディアでは、世界中の国が北極域の資源をめぐって競争しているという見方で切り取られることが多いのですが、実際はそうではなく、北極評議会のガイドラインに基づいて秩序だった協調的な国際関係が営まれてきました。
北極評議会は、元来、環境の保全や保護と持続可能な開発という2つの分野での国際協力を行ってきましたが、近年では北極域の地域コミュニティが、激しい気候変化に適応できるようにする方策についても取り組みを進めてきました。2年に一度、加盟国の閣僚が会合して、その都度方針を決めていきます。北極評議会の特徴は、先住民の代表団体が意思決定の場で発言することを保障されているところです。国の代表と先住民の代表が一緒に同じテーブルについて発言して、物事を決めていくという仕組みは、政府間の協力体では他にはありません。非常に先進的なモデルだと思います。
温暖化で変わる北極域の国際関係
2000年代に地球温暖化によって北極海の夏の海氷面積が大きく縮小したことで、それまで見られなかったような経済活動への期待が北極域に集まりました。例えば、今まではヨーロッパとアジア間はスエズ運河を通る南回りで物を運んでいましたが、氷が溶けて北極海の航路を将来使えるようになれば、その距離が約3分の2に縮小されます。これは特に日本を含むアジアとヨーロッパの貿易にとって、大きなインパクトがあります。北極域の天然ガスやレア・アースなどの資源開発にも注目が集まりました。
また、北極海の真ん中に中央北極海という公海があって、海底部分も含めて人類共通の財産とされています。例えば将来その海域に魚が北上していけば、漁業ができるかもしれないと考える人もいますし、技術が発達して、海底で資源開発がより安価なコストでできるかもしれないという人たちもいます。いろいろな経済的なポテンシャルが広がったことによって、北極域をめぐる国際関係がにわかに活発となり、私のような国際関係論や国際政治学の研究者たちの多くが北極域を研究対象とするようになりました。
気候変動によって、もともと北極域に住んでいる人たちの生活にも変化がもたらされました。例えば氷の融け方が年によって不規則に変わってしまったので、イヌイットなど狩猟活動をしている方たちが代々伝統的な知識として受け継いできたルートが通用しなくなってきました。また、北極海沿岸部ではそれまで見られなかったような高波も発生するようになり、沿岸浸食が進み、元々住んでいた土地から立ち退かなくてはならない人々も現れました。自然環境の変化が、社会経済にも影響を及ぼし、いろいろな分野で複合的な変化を引き起こしています。
日本の北極域研究
日本の北極域研究は、戦前の農務省による北洋氷の観測航海を例外として、1957年、中谷宇吉郎氏がグリーンランドで雪氷観測に参加したのが始まりで、その後は個人の研究者や研究機関による観測研究が主流となりました。2000年代以降は、北極域の気候変動が日本にも異常気象をもたらすことが少しずつ分かってきたことや、北極航路の活用など経済面でも重要な関わりがあるとして、2011年、文部科学省が「グリーン・ネットワーク・オブ・エクセレンス事業」を開始し、その中の1つの国家事業として北極研究が行われるようになりました。
現在は、持続可能な社会の実現を目的として、北大と国立極地研究所、海洋研究開発機構の3機関が中心となり「北極域研究加速プロジェクト」(2020年-2025年)が進行しています。引き続き北極域の自然科学の研究が中心ですが、大きな目玉となる研究の一つは、国際法や国際政治の研究者などが、北極における国際的なルール形成のため、その基礎となる知見を集め国内外のステークホルダーに提供することです。私は国際政治課題の責任者を務めており、政策提言につながるような研究も続けています。
揺らぐ「平和の象徴」
北極域の国際関係を表す重要なキーワードに、「北極例外主義」という言葉があります。この言葉は、例えば、北極以外のところで戦争が起きて国家間の政治的緊張が高まっても、北極域だけは国際協力を続けようという信念を表しています。2014年にロシアがクリミア半島を併合し、ウクライナ危機が発生した際、欧米諸国や日本はロシアに対して一斉に経済制裁を発動し、国際関係が緊張しました。しかし、ロシアや米国を含む北極域の8ヵ国は北極評議会を停止させることはありませんでした。それは、気候変動が地球平均の約4倍で加速している北極域において適応策を話し合う北極評議会の活動をストップさせることは出来ないという判断があったからでした。
しかし、2022年2月にロシアが軍事力を用いたウクライナへの大規模侵攻を開始したことによって、ロシアの代表団と同じ会議に同席することは出来ないとして北極評議会の活動が事実上ストップしてしまいました。北極評議会の活動が停止するというのは過去約30年間で初めてのことであり、北極域の平和の象徴であった北極例外主義が瀕死の状態にあります。
ウクライナ侵攻に関連してよく報道されるのが、北極が軍事化していくという懸念です。ロシア以外の国が全部NATOの加盟国になれば、北極域での対立が激しくなるのではないかと心配されていましたが、私たちが現地調査した結果、少なくとも短期的には安全保障の面では戦争の前と後で状況はそれほど変わっていないことがわかりました。
ただ、研究者がロシアの領土で活動ができない状況が生まれています。ロシアのタイガ(針葉樹林)などで研究ができなくなると、例えば炭素収支のデータが取れなくなったりして、どれぐらい温暖化が進行するのかを計算できなくなります。さらに、日常生活のレベルで人の行き来やビジネスのやりとりが難しくなってしまいました。実務的な問題に対して解決策を提案していた北極評議会の活動を、一刻も早く再開してほしいという声が上がっています。
北極域は地球の未来の姿
温暖化が他の地域よりも先に進行してしまっているという意味では、北極域というのは地球の未来の姿とも言えます。日本も含め、そこに住んでいない人たちも北極域のことを考え、自分事として今できることをやっていくことが非常に重要です。温暖化でどういうことが起こるのか、実際に見て考えることができる北極域は、一つの学びの場になると考えています。公開実習として全国から学生を募って2023年夏に実施されたArCSIIおしょろ丸北極航海はその良い例となりました。
足を使い、人の話をよく聞く
北極域の国際関係というのはまだまだ研究し尽くされていない新しい研究対象で、自分で開拓していく醍醐味があります。私の研究は、現地に足を運び、人の話をよく聞くということに尽きます。一つの問題でもいろいろな見方があるので、できるだけ足を使って理解することを大切にしています。
北極域は、景色がすごく綺麗なんですよね。グリーンランドの海辺にものすごく大きな氷の塊が漂着していたのに、次の日はなくなっていたりして、普段あまり見ない自然の一面を見られるのが、個人的には非常に楽しみですし、気分転換になっています。若い方にはぜひ北極研究のコミュニティの一員になってほしいです。もちろん、ホッキョクグマのことが知りたいとか、北極の氷のことを知りたい人たちも大歓迎ですし、私は文系なので、政治経済や人の暮らし、先住民のこと、そういったことに多くの若い研究者や学生の皆さんが関心を持ってくれると、非常にうれしいです。
文:齋藤有香
2024年6月5日公開